ゼリー状の文字列

思った事を書き連ねます。

「撮って出し」は善か(レタッチは悪か)

写真をツールを用いてレタッチすることについての議論は様々あります。
中には、"写真を編集するなんて邪道だよ!腕が悪い証拠だね!"と言う人もいます。

私はよくレタッチを行う方です。

デジタルカメラで撮った写真をミクロ的な視点で考えれば、ただの信号であり、それがドットに変換されたものの集合です。
理論的にはドットを操作することによってカメラなどの媒体を使わなくとも、ゼロから写真を創造できるはずです(絵も同じ)。

そもそもカメラが生成するjpg画像というのは、カメラメーカが独自のアルゴリズムによってRawデータからjpgデータに変換したのものにすぎません。要はカメラがよしなに現像してくれているわけですね。フイルムで言えば、最寄りのスーパーの格安現像サービスを利用しているようなものです。それで、「編集なしだからすごい」と言われましても。。というのが私の感想です。

一眼レフカメラでファインダを覗いた時に見える光景も、カメラのミラーとプリズムによって曲げられた像です。それを基にしている時点で、既に"真実"からは程遠いと思いませんか。

写真はそもそも真実を写しているものではない、というならば、レタッチを駆使してより自分のイメージに近づける行為が悪だとは思えません。

写真に写った自分を見て、「自分ってこんな顔なんだっけ」と思ったことはありませんか?

人の内面の感覚・認識は、クオリアの話にもあるように、およそ他人には想像しえない世界が広がっているはずです。外面にアウトプットする際に”だいたい同じような方向性を帯びている”だけ(人間って不思議ですね)であって、真実は決して共有されることはありません。つまり、写真に写ったあなたは”だいたいこんな感じだよ”といった参考画像にすぎない、あやふやなものなのです。

話がよくわからない方にいってしまいましたが、要は、レタッチを批判するのはナンセンスだ、という話でした。